てぃーだブログ › 土の夜

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Posted by TI-DA at

2011年11月24日

三線 その2

歌三線(うたさんしん)という言葉があるくらい、

歌と三線は、切っても切れないのです。

「三線を弾けても、歌が唄えなければ、意味がない」くらいに

言われるほどです。


三線が歌とどういう関係かということについて、

このような文章があります。


「歌三線の三線はこの高度に発達していた宮廷歌唱(声楽)に、

あまたある中国伝来の楽器のうちから三線だけを受け入れたのである。

その三線はこれまでの手拍子にとってかわったものだし、

手拍子はまた太鼓のような打楽器から代わったものだ。

発達した歌唱に三線が結びつくかぎり、三線の役割は極めて限定的で、

若干弦楽器的な機能を発揮するのは当然としても、

やはり手拍子・打楽器的な役割を担い続けなければならなかった。

沖縄のウタと三線は殆ど宿命的な出会いだったのだ。」

琉球大学教授 池宮正治氏
「三線の来た路」より





三線がパーカッション的な役割をしているとは、

思いもよりませんでしたが、

確かに、リズム取りは必要ですし、

ポツポツと弾くあの音色は、

打楽器的でもあります。


ちなみに、私にとって沖縄民謡はJAZZです。
  


Posted by すずめちゃん at 00:36Comments(0)芸術

2011年11月08日

三線(さんしん)

今更、とも言えますが、あえて、そこを語ります。

よく、蛇味線(じゃみせん)と、本土では呼ばれていますが、

沖縄の人は、そんな呼び方をせず、

「しゃみせん」とか、「さんしん」という呼び方をします。


三線は、14~15世紀ごろ、中国から沖縄(琉球)に、伝えられたと、

考えられています。

三本の弦を持つ、三線は、「さんしぇん・さむしぇん」という楽器がもとになり、

琉球で今の形になったそうです。

三線が伝わる以前は、琉球では、リードボーカル・コーラス隊は、

手拍子でのリズムだけを伴奏にしていたようです。


胴の部分には、蛇の皮を使いますが、決して「ハブ」の皮ではなく、

「ニシキヘビ」です。

最近は、基本的に3種類の皮があるそうで、

一つ目は、皮模様をプリントした人工皮のもの。

お手頃価格な上に、強度があり、長持ちします。

音色は、ハリのある甲高い音が出ます。


二つ目は、本皮。

音色に深みがありますが、乾燥に弱く、

耐用年数は短いので、何年かに一回は、張り替えが必要です。

少し、皮が裂けてきたら、そこにアロンアルファを塗って、応急処置をします。


三つ目は、本皮の下に人工皮を張った、二枚張りのもの。

本皮の風合いがありながら、耐用年数は半永久的。

音色は、「ややこもった」感じに聞こえるそうですが、

初心者には分からない程度だそう。



また、本皮を使っているものは、

表に1枚、裏に1枚が使われ、

舞台などで、音が前へ伝わりやすくするために、

裏面は、2枚使われていると、聞いたことがあります。


また、最近では、人工皮に、好みの写真をプリントしてあるものや、

缶カラを使ったもの(これは、沖縄の歴史から、切り離すことのできないのもですね)

がありますし、

戦中・戦後は米軍のパラシュートを使ったものもあったそうです。





本土の三味線は、しゃもじのような「バチ」で弾き、

奄美大島の三味線は、「つまようじ」のような棒で弾きますが、

沖縄では、「ツメ」のような形のものを人差し指にはめて弾いたり、

そのまま自分の人差し指の爪で弾いたりします。

人差し指の爪が、異状に伸びている人は、三線を弾くと見ていいですね。


弦も、三味線、奄美の三味線、沖縄の三線で、ちがいます。

沖縄の弦は、現在主流なのが、ビニール弦。

沖縄の三線に、奄美の弦を使って弾くのは、登川誠仁(のぼりかわ せいじん)氏。

奄美の弦は、沖縄の弦より細く、やわらかい音色になります。



  


Posted by すずめちゃん at 10:20Comments(0)芸術

2011年08月30日

大折目(うぷうぃみ)その3

「大折目衣(うぷうぃみじん)」といって、夏の晴れ着を新調した。
年中行事の中で、生産休養日の遊びを伴う収穫祭などを行う日。
伊江島では、かつて、七月下旬の闇夜に三日間行われた。
現在でも、毎年旧暦の七月二十日以降の午の日を避けた日に
四日間行われた。

1日目はニャーグニ
前夜の明け方、シバという神職の男が、中川(親の川)に沐浴し、
闇の中を木芝を押し分けて、城山(ぐすくやま)の玉城ヤカという高台に立ち、
「今日から四日は、うぷうぃみだやいびんどう」と告げる。

2日目はメースィカンニャ
ノロは総出で、居ノロ、立ちノロの二組で、おもろを歌い、
魚釣りの儀式をおこなう。

3日目は、特に大折目
ノロが馬に乗って、祈願して、城山の中腹まで登り祈願。
日が暮れる頃に下山して、ニレの神に子どもを捧げる行事が
阿良の浜で行われる。

4日目は豆俵折目
害虫を捕獲して、ワジーの波打ち際で、五穀豊穣を祈り、海に捨てる。

参考文献「伊江島の民話」


  


Posted by すずめちゃん at 12:01Comments(0)信仰

2011年08月29日

大折目(うぷうぃみ)その2

おこなわれる時期:
以前は旧暦七月下旬の闇夜に3日間おこなわれた。
現在は、旧暦の七月二十日以降の、巳・午の日をさけた日で、
すべての神事は、四~六日間に、とりおこなわれる。

ノロと、役場職員で日程は決められる。

目的:
五穀豊穣、害虫や流行病がこないように(畦払い・虫払い)、海上安全、豊漁願い

おおまかな流れ:
一日目・・・大折目の日取りが決まったことを神さまに報告。
       「無事に終わらせてください。」

二日目・・・魚釣りの儀式・七手(神拝みのときの所作)などをおこなう。

三日目・・・精いっぱい飾られた馬と杯を酌み交わし、祈願をしてから、
       城山(ぐすくやま)の中腹まで一気に駆け上がる。
       この時、ノロは馬に横乗りし、馬持ち(男性)は、片方の手で手綱を
       もう片方の手で、ノロの腿を押さえ、走った。
       上手な馬持ちは、西側にまわりこみ、
       滑りやすい石を避けて通った。
       *馬のことは、「馬加那志(うまがなし)・ウマンジャ」と呼び、敬った。
       
       夜は、十歳以下の女の子を馬に乗せ、浜へ下り、儀式をおこなう。
       泊めてある船の船体を、ノロが叩きながら、祈願する。

四日目・・・バッタなどの虫を葉っぱに包み、島の北側の海へ流し、祈願する。
       また、長い葉っぱとススキを、南側の浜へ立てて、祈願する。

五日目・・・神聖な森から。材木を取ってきて、小屋を建て(豆倉)、
       そこで祈願する。

六日目・・・最後の祈願をし、カチャーシーみたいに、みんなで踊って、別れる。


備考:  
以上は、すべてノロがおこなう。
戦争によって、破壊された拝所や、移動した拝所がある。
平成五年前後に、村の高齢者から聞き取り調査をし、記録されている。

参考文献:
「伊江島の民話」
       


Posted by すずめちゃん at 13:33Comments(0)信仰

2011年08月05日

大折目(うぷうぃみ) その1

兵庫県のお友だちが各季節ごとに発行している「Nature Style しんぶん」なるものに

投稿するために、

この伊江島の「祭り」について、調べている。


知り合いのおばあが、

以前から何度も繰り返し話してくれた、

あの「ノロが馬に乗って、城山をかけあがる」行事。


調べてみると、「大折目(うぷうぃみ)」といって、

結構、すごいお祭り(行事)だったようだ。

五穀豊穣・害虫や流行病を防ぐ・海上安全・豊漁願いのための

約6日間にわたるノロ(神人)による祈願行事。


どうやって、まとめようか・・・。

いや。まとまらなくても、いいか・・・。





  


Posted by すずめちゃん at 00:44Comments(0)信仰

2011年08月04日

古美術品

先日、片岡鶴太郎さんや、中島誠之助さんが出演されていた

「古美術のすすめ」を観た。

京都御所の傍にある、冷泉家(れいぜいけ)では、

平安時代から

300年後に藤原定家が書きうつした「古今和歌集」など、

2万点以上を蔵に保管し、

代々受け継ぎ、残してこられたという。

その家で生まれ育ってこられた冷泉貴実子さんは、

「子どもの頃から、あの蔵に勝手に触ったら、バチがあたる。と

言ってきました。

古今和歌集は、書きうつした人なんて、沢山いたと思うんですよ。

でも、それを、残してきた冷泉家は、すごいと思いました。

執念ですよね。」

「冷泉家は、歌の家として続いてきました。

和歌、歌会、そして、今回国宝となるものも、結局は歌の本なんです。

そして、歌に関する年中行事があるというのが、本来の姿だったんです。

目に見えない空間というものが、とても重要で、

そういうものが一体となって、文化というものが伝わっていくんだと思うんです。」

と話されていた。

中島さんは、

「地震、火事、台風、戦乱など、いろいろなことがあった中で、

大変なことですよ。」

「古美術というのは、支えてきた人がいて、それを受け取って、

を次へ渡していくということなんですね~。」

と言われていた。


古美術を見る目が、少し変わった気がする。



ある三味線屋さんの壁に飾られていた絵


  


Posted by すずめちゃん at 00:47Comments(0)歴史

2011年07月31日

軍人節

曲名から、

なんとなく「勇ましい」イメージがしていたので

あまり聴こうともしなかった「軍人節」。

酒の座で、

三線の先生が弾いてくださったのを聴いて、

驚きました。

唄の前に琉歌(ツラネ)が入ります。

「天ぬん知りみそち 月ん知りみそち
 里ぬ行く先や 照らちたぼり」

無蔵と縁結でぃ  月読みば僅か(わずか)
別りらねなゆみ  国ぬ為でむぬ
思切りよ      思無蔵よ


里や軍人ぬ    何んで泣ちみせが
笑て戻みせる   御願さびら
国ぬ為       しちいもり

・・・・・

*かなり大雑把な訳*
「天よ 月よ
どうか 私の愛しいあの人の行く先を 照らしてください」

あなたと縁を結び、夫婦となってから、
月日はあまり経っていませんが
別れなければならない。
お国のためです。

あなたは、軍人ですものね。
どうして、泣けましょうか。
どうか、笑って戻ってきてくださいね。

・・・・・


昭和12年日支事変が勃発し

日本が軍国主義を前面に打ち出していった頃に、

退廃的な内容、批判的な歌は、

軍部のお咎めを受け、チェックを受けるようになりました。

この曲も、当時は危険思想だとみられたそうです。



この曲は、覚えることに決めました。
  


Posted by すずめちゃん at 00:28Comments(0)芸術

2011年07月25日

RESISTANT 抵抗力のある、耐性のある(形容詞)



最近のヒット単語!

Water-resistant 耐水の⇔Waterproof 防水の
  

Fire-resistant 耐火の⇔Fireproof 防火の



日本語でも、あんまり考えたことのなかった「防水」と「耐水」のちがい。

3年ぶりぐらいに、国語辞典を引いてみた。

防水=水がしみこまないようにすること。

耐水=水による変質や破損がなく、水がしみとおったりしないこと。
     水に強いこと。


ふ~ん。

もし、これから先、

雨でずぶぬれの外国人(しかも英語圏の)に出会ったら、


「これは、防水加工の傘ですよ。」と言って、傘を差しだそう。

そして、

「これは、耐水性の紙ですよ。ご家族にお手紙でも書きなさいな。」

と言って、便せんでも差し出そう。



これは、防水でも耐水でもない 洗濯物(ブラジル レンソイスにて)

  


Posted by すずめちゃん at 02:18Comments(0)言語

2011年07月23日

かぎやで風節

沖縄本島のお祝いの席で

必ずと言っていいほど、一番最初に演奏される古典曲。

演奏というくらいだから、

地方(じかた)が生演奏する。

しかも、青年やご婦人が踊ったりもする。

本土でいうところの、「能」のような動きの舞だ。

伊江島では、特にかもしれないが、

とにかく、踊りは、7~8割の村民が出来る、ように見える。

本当に、素晴らしいと思う。


ところで、この「かぎやで風」、

いろいろなバージョンがあるらしく、

お祝い・新築祝い・お墓の落成式 等々、

その場面によって、歌詞や唄い方が変わるらしい。

お墓が新しく作られた際には、

3名の地方(じかた)が、墓の中に入り、

演奏し、「かりー」をつけるという。

現在は、3名も入れるお墓も、珍しいが。


とにかく、芸能 (こういう風に、まとめてしまうのも、

味気ないような気がしてきた)が、

生活に密着している、伊江島なのだ。










  


Posted by すずめちゃん at 03:00Comments(0)芸術

2011年07月14日

砂曼荼羅 チベット仏教



何年か前に、

ダライラマ関連の本「聞き書き ダライラマの言葉」 松本榮一著 で知った砂曼荼羅。


直径2メートルくらいの曼荼羅を、

若い僧侶たちが数日間かけて、

色をつけた砂で描くという。


完成した後、密教行が行われ、

それが終わると、

この曼荼羅は壊され、

聖なる川に流されるという。


このあとくされのないというか、

潔さ(いさぎよさ)が、

私には、たまらない。












  


Posted by すずめちゃん at 21:45Comments(0)信仰

2011年06月08日

別れの煙

別てぃ 旅行かば
嬉さ 淋しさん
思出しよ 産し子
島ぬくとぅん
ちゃー忘んなよ

山ぬ端に 立ちゅる
照らし火ぬ煙
かりゆしぬ船に
産し子 見あて
ちゃーかりゆしど

糸ぬ上ゆ 走る
船に立つ 煙
山ぬ端に 向かてぃ
我親 見あてぃ
ちゃーかりゆしど




昔も、島人(しまんちゅ)は、本土へ出稼ぎなどのために

島を出ることが多かった。

しかも、交通手段は、船。

那覇の港を出た船は、ちょうど伊江島と、本部半島の間を通り

北へ向かう。
(現在も、九州経由、本土行きの船は、そう。)


親は、

我が子が乗る船が、ちょうど通過する頃に、

伊江島の東の浜に、煙をたいて、

我が子を見送る。


子は、船から親のともしているであろう煙を目当てに、

見えなくなるまで、お互いに手をふっている。



昔の船旅や、本土での生活は、

現在のように、すぐに帰ってこれるようなものでも、なかったろう。

連絡も、すぐには、届かなかったろう。

「きっと、元気に暮らしているだろう」

そう、願うしかなかったのでは、ないだろうか。



この唄には、そんな想いと愛がつまっている。



5番まである歌詞の、

最後のほうは、いつも泣きそうになる。

「感情、こめすぎだろう!?」

と、自分につっこみを入れながら…



そして、

東日本大震災での、この世と、あの世の別れが

どうしても、オーバーラップする。

「どうか、あの世で、元気に暮らしていて」

誰かの願いが届きますように。


  


Posted by すずめちゃん at 22:33Comments(0)芸術

2011年06月06日

真実を知ろうとすること

人類の歴史のなかで、

いろいろな事実が伝えられてきたけど、

その「事実」も、

後世の人の考えで、少し変えられてしまったものだったり、

誰かの陰謀で、大幅に捻じ曲げられたものだったりした、


ということは、なんとなく解っている。

沖縄戦の教科書問題も、そうだった。



私が学生の頃は、教科書を、疑いもせず、

ただ「暗記」して、点数を取ればよかった。

誉められた。







今、いろいろなことが起こっている日本で、

真実をみようとする目を養いたい。




  


Posted by すずめちゃん at 23:31Comments(0)歴史

2011年06月01日

宮古根

今年1月から習い始めた三線(さんしん)。

以前から、数回おしえてもらってはいたけど、今回は本格的。


先生は、家から徒歩40歩ほどにお住まいで、

最高の立地条件です黄しまぞおり



先日、与えられた課題曲は「宮古根」(なーくにー)

恐れ多いけど、その日は、コーフンして、なかなか眠れませんでした。

①まずは、1番を弾き続ける。
②唄の意味を解説してもらう。
③うたいまわしや、気をつける点を教わる。
④1番から2番まで弾き進む。
⑤1番から最後まで弾き続ける。
⑥繰り返し、弾き続ける。

それにしても、先生は、イライラしないのかな~?と密かに思いつつ、
気長に教えてくれる先生に感謝です。

おうちに帰ってから、復習です。


















わたしが、学んだり、知ったり、解ろうと探求していることを、
このような形で発信していきます。
飽きっぽい性格であることや、
知りたい分野が5つくらいあることは、
ご了承ください。
分類の仕方は、自己流です。

また、先生がいる分野や、
先生がいなくて、書物から学んでいる分野もあることも
ご了承ください。

どうぞよろしくお願いいたします。
  


Posted by すずめちゃん at 00:56Comments(0)芸術